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「アクロテック」 2004年メモリアル特集

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昨年の4月、世界最高峰のオーディオ・ケーブル最先端技術を極めていた「アクロテック」(株式会社ジャパンエナジー)は事実上そのブランド名に幕を閉じることとなり、未曾有のデフレ不況のなかで静かに封印されてしまった。と同時に、そのすぐれた製品の数々がネットオークションなど破格値で投げ売りされるなど、目を覆いたくなるような無惨さで市場に流れていったようである。「アクロテック」ブランド製品はその年の7月まで新たに起ち上がった「アクロリンク」(株式会社アクロジャパン)が販売を引き継ぎ、その後は「アクロリンク」ブランドで新しいアクロリンク製品が現在も各種売り出されている、というのがそもそもの経緯だ。

この10年間というもの、そういったバブル崩壊の波からデフレスパイラルに至っている今日、この時代の流れにやむを得ずして消えようとしている一つのブランド、アクロテックのメモリアル特集を、このたび長年愛用して来た者の一人として私流に書き残しておくことにした。話せば長くなりそうだが、思い出は1989年の頃から始まることになる。あの頃はハイレベルなオーディオシステム作りに夢中になっていた時期だったかもしれない。まず、ここに一冊の資料から思い出を書いておこう。上の資料画像は当時、アクロテック(日本鉱業株式会社)の大阪支社、銅箔・新素材営業部、銅箔・新素材営業課のK氏から送って頂いた貴重な資料である。日本鉱業株式会社の社名入りA4判便箋に、パンフレット及び書類をお送り致しますという、鉛筆風手書きの丁寧な文書が中に添えてあったものである。より詳しい情報や資料が必要な場合は、またいつでも御連絡を下さいと書かれてある。この手元の資料だけでも充分価値あるものだ。いろんな分析や結晶粒界の原子配列図面といった研究データが精密に何枚にも渡ってファイルに綴じてあるものだ。

なぜ今の時代に受け入れられなくなってしまったのか、Made in Japan の優れた産物の代表が、なぜ時代から拒まれてしまったのか、オルトフォンに負けてしまったのか、ピュアなだけではダメなのか、価値あるものが価値観の判る者に委ねられるとして、その普遍性の行き着く先がごくわずかな個人ユーザーのみとしたら、やはりその市場性には限界があるのだろう。少なくともどんな企業がその6Nなる純度の銅素材を大量に必要としたか、産業用や量産向けには果たして開発されていたのだろうかと推測するに、その必要性は大衆的なところで需要がなかったとしたら、そこには悲劇しか見えて来なかったのかもしれない。アクロテックのStressfree-6Ninesは高価な産業の遺物ではなく、その当時の時代に生まれるべくして生まれて来た、一期一会の、オーディオ世界で究極の音質づくりに寄与して来た音楽文化の一端であったことを、大方の日本人には見えていなかったということである。見えないのも当然で、ハイエンドなごく一部のオーディオマニアにしか通じない製品だったからである。今の携帯電話の普及とは、およそかけ離れた利便性の相違ということになる。ある意味では宿命を背負っているハイグレードな製品群といえようか。永遠にバブルが弾けなければ、今も何ら問題が生じなかったのだが、音楽文化の高度なアクセサリーと評価してくれないこの国では、ただわびしいとしか言いようがない。8Nまで到達したアクロテックの日本ブランド技術は将来アメリカやヨーロッパのオーディオ業界で再びいずれ高く評価されるだろうが、それらの貴重な商標特許権はすべて買収されているに違いない。気が付いた時にはすでに遅しである。

(2004/02/16)


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現在の新日鉱グループのジャパンエナジーのWebから会社概要の沿革をみると、日本鉱業は創業母体である久原鉱業株式会社の前身となった久原房之助翁の日立鉱山買収そして操業開始という明治38年(1905)にまで溯るから、大変長きにわたる歴史と伝統がある。それからおよそ百年後の今、ジャパンエナジー、日鉱金属、日鉱マテリアルズ、日鉱金属加工、他とを合わせて新日鉱ホールディングス株式会社を組織していると紹介されてある。石油事業を中心としているジャパンエナジーのJOMOのガソリンスタンドの看板はわれわれがよく見かける日常の光景だけれども、さて、新ブランド「アクロリンク」の事業部アクロジャパンって、一体どの事業部にあたるのかよくわからなかったので、新日鉱グループ事業の中核をWebから拝見させて頂いたところ、大きく4つの事業グループに分かれるようである。石油事業、資源・金属事業、電子材料事業、金属加工事業の4つとある。それらをさらに拝見させて頂いたけれども、よくわからなかった。新日鉱ホールディングス傘下の独立事業会社か機能サポート会社の中なのか不明だけれども、やはり日鉱金属加工の金属加工事業の中にでもあるのだろう。

アクロリンクの製品についてはさておき、アクロテックに関する当時のこの手元の資料には実に興味深いことがいろいろ書かれていて、月刊誌に記載された対談集もなかなか面白い。ここで話しは元に戻る。「MJ 無線と実験」(1989年10月号 誠文堂新光社)には「テクノロジー最前線/日本鉱業・ストレスフリー6Nケーブルの特長について」という特集が組んであり、何か凄い夢が語られていて対談にも画期的な雰囲気に漲っている。石油化学製品の最大手である日本鉱業は、もともと中近東や東南アジアから原油を輸入し精製している会社で、それら石油製品のうちガソリンが27.5%(昭和62年度)、重油が12.9%、銅が12.3%、販売シェアは銅がトップで25.6%とある。1988年に1400億円でアメリカのグールドという会社を買収して、これを契機に銅箔部門が新素材加工から独立し、銅箔メーカーとしては世界一規模になったのだと、本文の対談集では初めに語られている。面白いのは、その当時、オーディオの世界で高純度ケーブルと呼ばれているものすべてを日本鉱業が分析してみたら、みなどれも4N(99.99%)であったというのだ。日本鉱業にしてみたら、4Nは自分たちの世界では決して高純度と呼べるようなクラスではなく、そこからオーディオ世界へ6N(99.99997%)テクノロジーの薦めが始まったと語られていることだ。6Nの元祖は日本鉱業なのである。もしかしたら、今でも各社オーディオアクセサリーメーカーの6N以上のケーブル製品の中身は、意外と日本鉱業のOEMであったりして、これは今私が勝手に邪推しているにすぎない。当時の私の記録と記憶では、アクロテックが6Nを出してから、その数年後に他社の6N製品が次々に追随していったものである。


さて、その名前の日本鉱業製品であるところのアクロテックというブランド名であるが、そのMJ対談集に、こう紹介されている。「アクロというのはギリシャ語で最高度のという意味です。それとテクノロジーを組合わせたものです。日本鉱業の最先端と言われる製品に、このブランド名を付けることになっておりますので、今回のケーブルもアクロテックになったわけです」と。その最高水準にして銅を原子レベルでみた場合、銅の不純物が限りなくゼロに近付くというのは、音の伝送において、限りなく電子の流れが電線銅導体をスムーズに流れることにより、原音再生に限りなく音質の歪みをゼロにしてゆくということであるが、この究極の論理製法は、やはり音を比較する作業においてリアルに体験できる。ケーブルの被覆構成や絶縁体の素材によっても音の音色も変化する。もう一つアクロテックの6Nで重要なのは、限りなく金に近い柔らかさを有しているということだ。そして、6N精製において熱処理の仕方と音の良くなる方向とは相関関係があって、実は某オーディオメーカーがそれを指摘してくれた、と対談のなかで披露されているのも面白い証言である。忠実な原音再生の究極のサウンドを求めていた当時の情熱が、ひしひしと伝わって来る。

研究データの紹介とは別に、この対談集の他にも1989年当時の「オーディオアクセサリー」秋号、「レコード芸術」9月号、「ラジオ技術」7月号などに記載された記事も大切に綴じてある。日本鉱業が創り出した夢の原音再生は、アクロテックのケーブルに託されて来たわけだけれども、それが本領発揮されるには、やはりハイレベルな音響システムでなければ再現できない。聴き分けられることが出来た時、衝撃と新たな感動を呼び起こすけれども、こうしてまた本物が失われてゆく一抹の淋しさは、やはり日本人の一人として何とも大きな損失としか思えない。そのアクロテックが遺産のごとく残してくれた1/100純度のこだわりについて、次回はマーティン・ローガンのスピーカーで聴く違いを書いてみたいと思う。

(2004/02/18)

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