ヴァイオレット・エヴァーガーデン
原作・暁佳奈
キャラクターデザイン・高瀬亜貴子
出版社・京都アニメーション(KAエスマ文庫)(2015年)
アニメーション制作・京都アニメーション(2018年)
松竹映画・劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』:2019年9月6日より3週間限定公開、上映期間延長
松竹映画・完全新作劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』:2020年9月18日公開
トップ画像の製作について
世界のアニメーターが描くアニメキャラクター使用フリー作品1枚と、ヴァイオレットの背景画となる庭付建物のフリー作品を組み合わせて加工しました。ヴァイオレットの髪の毛1本1本を引き立てるために配置を考えながら、色合いと光を変えて組み合わせました。AdobeのPhotoshopを中心に諸々の画像ソフトで仕上げています。結構念入りに日数と時間をかけて、美しいヴァイオレットを損なわないように加工画像としてUPしました。アニメファンの皆様と一緒に共有できたら幸いです。(Takuya Furukawa)




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作品『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のこと

ギルベルト・ブーゲンビリアの想いに寄せて




補記 (3) (2020/06/05)
補記 (2) (2019/08/19) (2019/07/31) (2019/07/29)
補記 (1) (2019/07/26)


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映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』を2回観る

車で片道2時間ほど運転して、山口県内で唯一上映している周南市の映画館「MOVIX周南」で、映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』を、9月第1週目の9月7日(土)と第3週目の9月21日(土)に、2回ほど観て来た。この外伝の映画を観ると特典がもらえるので、それも楽しみの一つだった。夫婦で入場したので、第1週目では原作者・暁佳奈の書き下ろし短編小説冊子が二つほど手に入った。『アン・マグノリアと十九歳の誕生日』と『シャルロッテ・エーベルフレイヤ・フリューゲルと森の王国』の2冊だ。特典は一人一冊のランダム配布なので、偶然にも私達夫婦には異なる作品がもらえたことは、ラッキーということになった。第3週目も夫婦で入場したが、第1週目とは異なる特典が予告通りにもらえた。この日のものは二人とも同じものではあるが、『イザベラ・ヨークと花の雨』という短編小説冊子と全巻収納ケースというものだった。結局のところ、2回の夫婦映画鑑賞でもらった特典としての短編小説作品は3種類に終わってしまったが、収納ケースには4冊入れて自宅に飾っておきたいと思う。いずれこれらの作品は読んでみるつもりだ。ランダム配布では、もともと3種類の短編小説冊子が用意されてて、私達が得られなかった作品名は『リオン・ステファノティスと一番星』という作品だった。そのうち暁佳奈の短編集文庫も発売されるだろうから、将来の楽しみとしておくつもりだ。暁佳奈の文庫本はすでに『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(上巻・下巻)と『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』の3冊を本屋で購入しているので、こちらの読書も楽しみとはしている。小説とアニメの世界では頗る乖離もあるだろうが、小説という原作がなければアニメも生まれないので、小説の世界では言葉という真理を表現できる魅力に満ち溢れているから、これはこれで素晴らしい独立した創造世界ではあるのだ。

当初の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』は3週間限定の上映であったが、好評につき4週間、5週間と上映期間が延長されているようで、とてもいいことではある。入場時にもらえる特典も、もう少しまだまだ続くようである。私達も近くにこの映画が上映される映画館があれば、得られなかったもう一つの短編小説冊子を求めて再度鑑賞したかもしれないが、なにせ宇部市から周南市まではちょっと遠過ぎるし、山陽自動車道の高速を使って往復してもよかったが、のんびりと国道2号線のバイパスを走るほうが私は好きである。往復4時間×2日で、同じ映画を映画館で観続けるのも、特典のためとはいえ、不経済な気もするが、京都アニメーションに追悼と貢献が少しでもできるのであれば、このような形があってもいいのではなかろうか。もともと下関方面も高速よりバイパスで行くほうが私は好きである。山口県は土建国家のニッポン総理が数多く輩出する県なので、道路事情がとてもいいのである。立派な道路が網の目のように走っており、人口の少なそうな田舎や町にも立派な道路がたくさんあり、残された旧道もたくさんある。まあ、それはそれとして、本題に戻ろう。

今回この映画『ヴァイオレット・・・外伝』のパンフレットも購入したのだが、映画が終わり、エンドロールにキャスト・スタッフ全員の名前が紹介され始めると、どうしても胸が込み上げて来て、目頭が潤んでしまった。1回目も2回目も切なくなってしまった。映画の製作にあたったスタッフ全員のなかに、亡くなった35名の名前と負傷者34名の名前が添えられていて、何とも痛々しかった。パンフレットにも同じように名前が全員記載されていた。声優や原作者や監督ら諸々すべての名前の数を数えると、およそ340名の名前が列なっていた。一つの映画作品を作るためには膨大な人員と協力協賛の会社が必要なわけだが、そこには一人一人の違った作業と役割があり、そんな映画作りの世界を襲った今回の残酷な悲劇は、かつてないほどの衝撃的な事件と言わざるを得ない。にもかかわらず、そんな悲劇に遭いながらも、われわれ観客が上映された映画作品を鑑賞できることは、映画製作会社に対して敬服あるのみである。一冊の小説が上梓され、一つの映画が上映されることで、その作品はすべての困難を乗り越え、報われるのだ。そして、その作品が優秀であればあるほど、人々の心のなかに永遠に残るものとなるのだ。アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』シリーズは、続編ともども後世に残る名作となってゆくだろう。

京都アニメーション放火殺人事件で亡くなられた35名の内、京都府警は8月2日に10名の犠牲者を実名公表していたが、残りの25名が8月27日になって実名公表し、これで合わせて35人全員の実名公表がなされているけれども、犠牲者の実名公表をめぐって社会問題のように取扱われてしまったことは、確かに今後の課題でもあるのだろう。死を受け容れる遺族もあれば、受け容れられない遺族もあって当然だろう。いつかは時間が解決してくれるかもしれない。楽しかった「生」も苦しかった「生」も、いつかは誰もが自分の死を迎え入れなければならない時が来る。生きているかぎりは、お互いに誰もが自分の幸せを求める権利があるが、不幸にして煉獄のような生き地獄のなかで生き続けなければならない人たちだってこの世の中にはたくさんいる。少なくとも、短い人生であったとしても、自分が求めた好きな世界で働けた時間だけは、きっと幸せだった時間を所有していたはずである。まして、こうして関わったアニメ作品が映画上映されているだけで、すべて報われていると理解すべきである。短い生涯であったとしても、夢を抱いていたことは偉大であり、悲しいことだけれども、不測の運命として現実は認めるしかない。死を受け容れて明確に供養するのが、遺族としてのけじめではあるのだ。それぞれに生前の思い出を末長く大事にみつめたいものである。



歌: 茅原実里「エイミー」
MV Full Size 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』 ED主題歌


(2019/09/26~09/27)




美しきヴァイオレット

作品『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』をレンタルDVDで全7巻すべて鑑賞した。思ってた以上に、想像していた以上に、美しいアニメだった。細部にわたる背景の色使いや優美さは、実に格調の高い鮮やかさで、評判どおりのものだった。キャラクターデザインは美しすぎる主人公の個性に比例して、凍りつくほどの冷たい金属にでも触れているようなタッチで終始描かれている。ヴァイオレットは孤児のために自分が何歳であるのかも判らず、CH郵便社で働くことになった頃はおそらく14歳くらいだとしているが、大陸戦争のさなかに拾われた戦災孤児は陸軍少女兵の「武器」として特攻訓練され使われていたようだ。その生い立ちは、まるで殺人人間兵器同然で実戦から培われたものだった。

戦闘で少佐のギルベルト・ブーゲンビリアに命令されて戦うことを生き甲斐とし、自分の命を少佐に託して捧げることがすべてであったヴァイオレットは、ついに敵兵に撃たれ、両腕を失くすこととなる。行動を共にしていた少佐もついに撃たれ、少佐を守りきれなかった自分を咎めるヴァイオレットであるが、あの時の、砲弾を浴びた城壁が崩れると同時に瓦礫の中から自分だけが救出されて少佐の消息を聞かされないヴァイオレットの切なさは、物語の後半まで尾を引いている。まるでオペラのアリアのようだ。心を失った機械人形のような武器にされたヴァイオレットは、戦争がそのような人格形成を破壊したわけだが、病院に担がれて治療を受けた彼女は120日ほど病床に就いていたものの、両腕にアダマン銀の義手を装着された身体となる。指先を精巧に動かすことができる機械仕掛けのような両腕は、まるでアンドロイドのようでもある。少佐が最期に言った「愛してる」の意味が理解できなかったヴァイオレットのその後の旅は、ふと私にロビン・ウィリアムズ主演のSF映画『アンドリューNDR114』(1999米)を思い出させる。アンドリューはもともと一風変わった機械のロボットで次第に人間になりたくて長いこと世界を旅するが、ヴァイオレットはそもそも人間なのに、痛みを感じない機械人形のような軍人少女兵の使い捨て道具のようになってしまっている。だが実際は、その無表情な顔から人間らしい涙が幾度も流れてしまう場面が多いのだ。美しくエレガントに整えられた金髪は赤いリボンで結ばれ、大きな青い瞳の美少女ヴァイオレットは、いつも憂いを含んだ物悲しさを漂わせている。アンドリューは逆にいくら物悲しくても所詮は機械ロボットなので涙は流れない。ギルベルト少佐を慕ってあふれ出す涙さえ美しすぎるヴァイオレットは、確かに血の通った人間の証明ではある。それゆえ、恋も愛も知らずに戦闘で機械的人間にされてしまった戦争の残酷さも表現した『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2018年アニメ作品)は、今後ますます高く評価されてゆくだろう。

CH郵便社でタイプライターを使って代筆の手紙を請け負う仕事をすることになったヴァイオレットの新たな人生の再生の物語は、あらためて胸を打つものだった。挫折と再起の物語は、美しい季節の移り変わりと共に描写されてゆくが、こまやかな一つひとつの色使いや空気の緊密感は実に繊細である。命のはかなさもさることながら、夜の街中のガス燈の明かりや、落ち葉が浮かんでいる水溜りに映った洋風建物店内の明かりなどの背景描写は圧巻だ。映画でのカメラ撮影と同じ遠近感で描かれてゆく光景や、活き活きとした緑や青や雪の季節感に包まれたディテールは、一齣ひとこまが芸術的価値の高い絵画のごとく美術品の宝庫となっている。こんな美しいアニメは観たことがない。ギルベルト・ブーゲンビリアの緑の瞳と同じ色のブローチを胸元に付けた美少女ヴァイオレットは、自動手記人形サービスとして人の気持ちを代筆しながら再び自らも人間の心を取り戻してゆく姿は、清麗にして輝きを放っている。そんなヴァイオレットが物語の終盤で、代筆ではなくて、オペラ歌手から思いも寄らぬ曲の歌詞を依頼されるわけだが、一旦は断ったものの、仕方なく引き受けることになる。誰もが感動できるような新しい歌詞でなければならない、という歌詞の依頼は簡単ではなかったが、その困難な壁を乗り越え、ついにそのオペラ歌手から認められて完成した歌詞は、ヴァイオレットだからこそ相応しいものができると確信されていたものだった。その歌詞が下のものである。ここにYouTube動画と歌詞を紹介しておきたい。歌手のTRUEによる「Letter」という曲だ。



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 楽曲  Letter
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歌手 : TRUE
作詞 : 唐沢美帆
作曲 : 堀江晶太

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ただ 静かに
おなじ空に 風を聞こう
そこに あなたは
いないけれど


もう いくども
書いた文字は 羽根のように
飛んで消えた


愛はいつも
陽だまりの中にある
見えなくても
触れられなくても
そばにあるように



ただ 優しい
森の木々は 雨にうたう
まるで わたしを
励ますように


まだ 乾かぬ
土のうえを 歩いていく
いつかの道


愛はいつも
透き通る水のよう
受け止めては
また離れていく
あなたに似ている



愛はいつも
陽だまりの中にある
見えなくても
触れられなくても
そばにあるように
(歌詞の参考資料 : ヤマハの音楽配信サイト mysound より)

2019年8月2日(金)、京都府警捜査本部はこの度の京都アニメーション放火殺人事件で犠牲となった35人のうち、犠牲者10人の氏名を公表した。その内の一人は渡邉美希子さん(35歳)で、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の美術監督・背景担当の仕事をされておられた。故人の遺志はすばらしい作品のなかに報われており、作品と共に永遠に生き続けることだろう。この誇りが御家族と共に胸に刻まれてゆくことを切にお祈り致します。消防隊の皆さん、警察の皆さん、犠牲者の氏名公表は、世界に発信するアニメの世界で夢に向かって高い志を遂げてゆこうとする故人の尊い希望であって、けっして忘れてはならないお名前なのです。一人一人の、作品に関わった仕事で生きた証しは、報われなければなりません。一人のアニメ・ファンとして、氏名を公表してくださったことに深く感謝を申し上げます。

(2019/08/06)





悲しみを乗りこえながら

2019年7月18日(木)午前10時半頃、京都アニメーション第1スタジオが突然放火され、3階建て建物が全焼してしまった。その時の犯人は、1階の入口から侵入して、そこにいた数人の社員に向け、バケツに汲んでいた10リットルほどのガソリンをぶっかけると、ポケットからライターを取り出し、「死ねえ!」と叫びながら、いきなり火を点けた。と同時に、1階フロアにバラ撒かれた揮発性の高いガソリンは想定外の爆燃現象で、一気に大爆発を起こし、またたく間に大火災となってしまった。運悪く3階まであった、らせん階段が煙突のような役割を果たしてしまい、濛濛とした黒煙と一酸化炭素中毒を瞬時に各階へ拡散拡大させ、多くの若い犠牲者を出してしまったのだった。死者34人と負傷者34人という、若きアニメ・クリエーターたちの命を奪ってしまったこの度の放火殺人事件は、惨憺たる前代未聞の残酷さで、放火事件としては戦後最悪の死傷者数を出してしまった。

京都アニメーションだけを狙った周到で計画的な犯行には、何とも不条理で強い殺意が込められているが、いったい何が犯人をそのように駆り立ててしまったのか、警察の捜査が少しずつ進むにつれ後から検証してゆくうちに、実にむなしい、実にいい加減な、実に曖昧で空疎な動機しか成り立っていないことが判り始め、誰の眼にも虫唾が走る内容だった。目的を達成するためには、身勝手な何らかの理念が必要なため、当人にとっては都合のよいテーマを思い付いただけなのであろう。陳腐な発想が時に誇大妄想とも成り得るのである。後は動機付けだけである。ゲームとアニメが好きで、齢を重ねてゆくうちに、働いても働いても経費削減の時勢とも相俟って、打算的で冷たい社会にはうまく順応できず、忍耐にも程があると思い込み、鬱屈している自分の存在を正当化するために、社会的ルールを破壊する必要があったのかもしれない。己れの自堕落と暴力的・ドメスティックな快感から他人を威嚇することで、ルサンチマンを発散するモンスターと化し、自分が抱いた妄想の原点となったのだろう。その体たらくな本能のまま、社会に対して屈折した犯人は驚くほど単純に動いただけであろう。軽薄な理念と軽率な無思考が社会常識とは実に紙一重の背反であることを、われわれは目の当たりにしたのである。

あえて言おう。『俺の小説をパクりやがって』と犯人は、自らもヤケドを負いながら逃走し火災現場から100メートルほど離れた京阪電鉄・六地蔵駅付近で力尽きて、追いかけて来た京アニの社員に捕まり、警察に確保され、警官にそう言ったようだが、無名の小説家であれば、それも仕方がないんだよ。悔しかったら、パクられた程度でゴチャゴチャ言うんじゃねえ。そんな素人程度だから、自分の書いた小説などと言っても、それは最初から虚言でウソだと判るのである。手前味噌でなんだが、二十歳頃から小説家を目指している私は、働きながら20代で書いた数々の小説の原稿は数千枚に及ぶが、それらの大半は出版社に投稿もせず自宅の書棚の片隅に今も残っている。それらの作品の一つは京都在住時代に書いたもので、実際に先斗町の火災で焼死してしまった舞妓のことを書いた作品である。500枚くらいの長編で原稿の上下に厚手の表紙で挟み、紐で括ってある。それをB4の紙封筒に入れたままだ。所詮20代で書き上げたものは大したものではないので、今もそのまま眠っている。30代では歴史論文を出版社に投稿したり歴史小説を書いて、こちらの郷土史研究会でそれらの作品は活字にして残してある。40代50代60代では、さまざまなものを書いてずいぶん自分のWebにもネット公開している。万年筆ではなくキーボードで書くようになってしまったが、Webは電子部品販売のネットショップなので、こちらもなかなか忙しくて、いわば二足の草鞋(わらじ)を履いているようなものだ。最近ではWebに紙屋六郎というペンネームで連載小説『おたくちゃん』を書いているが、ついついネットショップに翻弄されがちで、いい加減には小説の続きを書いてゆかなければならないとは思っている。なにせ家内が『おたくちゃん』の続きを読みたがってせがんでいるもんで。

さて、本題に戻ろう。京都市伏見区の京都アニメーション第1スタジオ放火爆発殺人事件の当日、建物内には74人がいて、病院に搬送されていた負傷者35人の内の一人がその後に亡くなられて、死者は合わせて34人になってしまっている。また、6人が無事であったことが確認されている。その後、市街の防犯カメラの録画などから次第に犯人の足取りも判って来て、第1スタジオのみならず、本社や第2スタジオの前まで歩いており、入念に下調べをしてテロを狙っていたようだ。「小説をパクった」という陳腐なお題目を掲げて、大勢の命を奪った犯人は、誰でもよかったから殺したかった、という憂さ晴らしの通り魔殺人事件と案外に酷似しているのがよくわかる。格差社会のひずみのあらわれかもしれない。夢や希望は外にあると思っているから、生きる希望が無くなったら安易に他人のせいにしたりするのであろう。夢や希望は心の中に紡いでゆくものなのだが、学ばない人間は、お粗末な自己顕示欲に終わってしまうのが常である。夢や希望を学歴や肩書きに縋っているようでは、弱い己れに打ち克つこともできまい。私が長年文学で学んだことは、心で生きるということだ。心より金銭を優先して大事にするようになってしまった時代は、いくら便利で合理的な社会になろうと、いくら最先端の先進国になろうと、いくら経済大国になろうとも、心ない世界は不毛の砂漠と一緒で何とも荒涼として侘しいものである。特に昨今、心ない事件の何と多いことか。



フィギュアからアニメと出会う

一眼レフでカメラ撮影しているうちに何か物足りなさを感じていたわけだが、3年前頃からそれが何なのか少しずつ判って来たのだった。それは、カメラ本体や交換レンズのクオリティーではなかった。撮りたいものが次第に見えてきたのである。自分に合った被写体が、自分が好きな被写体が、ようやく分かって来たのである。カメラ雑誌を読んでも読んでも満たされないもので、自分の眼が曇っているのか、単にカメラ撮影の才能がないのか、己れの触覚が働かなくなってしまったのか、アンテナが鈍くなってしまったのか、自己診断してゆくうちに、感動が得られないものには自然と眼を逸らしてしまうようになったのだ。文化財の仏像にはメラメラと情熱が湧いてくるのに、美しい景観にはまったく情熱が湧かなくなってしまったのだ。被写体に表情が無いものは、そのような画像には興味が湧かなくなってしまった。極端な話が、いくら美人であっても、作為にまみれた表情などのポートレートには全然情熱が湧いて来ないのである。もしかして、年齢による不感症にでも陥ってしまったのかと思うほどだ。せっかくの美人をつかまえて「撮らせてください」とはならなくなってしまったのも、加齢のせいだけではないような気がする。自然な表情がいいわけで、よろこびや哀しみ、躍動感や万遍の笑みに感動すれば、自然とシャッターを押したくなるだけなのである。ひょっとして、『スター・ウォーズ』のフィギュアを撮影すれば面白いかもしれないと思い、トミカの『スター・ウォーズ』シリーズのフィギュアを何体か買って、ジオラマを作りながら、あれこれ近接撮影してみたものの、やっぱり何だかピンと来ないので、こりゃあ長丁場になるなと思い、途中で断念。高額なフィギュアを買うのではなくて、1体がまあ1000円以内か、せいぜい3000円以内のフィギュアであれば、キャスティングに使えるのではないかと今でもそう思っているが、あとは撮影技術次第でどうにかなるのではなかろうかときめている。

2年前くらいのある日、トミカのフィギュアからは突然卒業してしまい、もしかして、人形のようなフィギュアがあるのではないかと思い出し、近所の中古買取ショップ「ぼっくり屋」に顔を出してみると、「これ、これ、これだよ」と、あまりにいい出来具合にびっくり仰天。感動もした。アニメのフィギュアとしてそこで最初に買ったのが『けいおん!』の秋山澪と中野梓の2体で、それぞれが左利きと右利きのギターを持って立っているものだ。長い黒髪と短いスカートの制服姿は実に愛らしいものだった。かなり古いものなのか、箱入り未開封でどちらも450円くらいだったような気がする。その後、欲が出て、フイギュアの精巧さや可愛らしさから、だんだん観る眼が変わってしまい、フィギュアの奥深さを知るようになった。B級フィギュア愛好家として1年以上も経って来ると、高額フィギュアはそれなりにとても魅力的であり、手作りとしては最高傑作であることがよく判って来た。ショーウインドウの中を覗き込みながら、愛でるにはいいが、とても手を出せるような代物ではないし、また分不相応の身であるから、高額品を買おうとは一度も思ったことがない。何十万もするフィギュアをいったい誰が買うのか判らないが、相当プロのコレクターか、それに関わる関連仕事の人しか買わないだろうとは思う。ともかくアニメの世界から飛び出して来たフィギュアを愛でる日常生活は、とても楽しいものではある。一日をとても明るい気分にさせてくれる。一体一体のフィギュアの表情が宝物のようにおもえてくる。動きはしないが、手に取り、手のひらに乗せると、何とも癒しにはなる。動き始めたら、それこそホラー映画になるが、うちのフィギュアたちは全員とても可愛らしいのだ。室内屋外を問わず一眼レフでのフィギュア撮影は何とも楽しい時間となる。そして、フィギュアを買っていったことで、そのフィギュアのアニメも観てみたいと思うようになった。レンタルDVDやBDで、それらのアニメの世界を少しずつ知るようになった。還暦もとっくに過ぎた私のようなジェントルマンが、レンタル屋に行ってアニメ・コーナーでディスクのストーリー解説を真剣に読んでいる姿は、かなり異様に見えるかもしれないが、好きになってしまったのだから仕方がない。

最近では「Fate/Stay night」、「Fate/Zero」、「Fate/Stay night [Unlimited Blade Works] 」、「Fate/Stay night [Heaven's Feel] 」、これら全巻をレンタルDVDで半年かけて観た。これまで他にもあれこれと作品全巻借りて観ていった。う~ん、日本のアニメはなかなか奥が深くて、眠ってしまったことも多々あるが、「Fate」シリーズはStay nightのセイバーのキャラクターが好きになってしまった。当然ながらセイバーのフィギュアは、Stay nightとZeroの合わせて6体、VMaxのオートバイが1体、他「Fate」シリーズのセイバーを7体ほど持っている。西尾維新の「物語」シリーズに至っては15体を持っており、DVDは新作も合わせて全部観た。もともと映画好きな私は海外アニメのファンでもあり、国内の日本アニメが好きになっても不思議はないのだ。

ところが、京都アニメーションの作品はどれもまだ観てはいないのだが、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の世界アーティストによる画像だけは今年2月に出会い、惹かれた画像を何枚かPCのフォルダに収集していた。何かが普通の画像とは違い、私の感性のアンテナが最大限に振れていたのである。主人公ヴァイオレットの気品さに思わず揺れ動いたのだ。その時はまだYouTubeでアニメの確認はしていなかったが、自動手記人形ということで、何やらワケのわからぬ不気味さのためか、さして本気で調べることもしなかった。所詮はライトノベルの異世界アニメという先入観から、つい後まわしとなった。ただ、ヴァイオレットの格調高い画像だけは、当時から印象深く脳裡に焼きついて残っていた。今年の春からまた少しずつ気になってウィキペディアであらためて再確認してみると、ストーリーの概要から、なるほどと思ったのだった。架空の大陸戦争で両腕を失ってしまった陸軍少女兵が、のちに自在に動く義手を両腕に装着してC.H郵便社の自動手記人形として働き生きてゆく物語、ということが判ってきた。そんなハイテクの義手でタイプライターを打ちながら依頼された手紙を代筆で書いてゆくらしいのだが、戦場で戦うことしかしなかった機械人形のようなヴァイオレットは、人間の感情というものを少しずつ取り戻してゆく内容のようで、陸軍時代の上官であったギルベルト・ブーゲンビリアが最後に「愛してる」と言った言葉の意味さえ理解できなかったようである。まあ、子供向けの純粋な少女マンガのようなものかもしれない。第5回京都アニメーション大賞の大賞受賞作品でもある。



補記 (1)

2019年3月30日(土)、山口市阿知須のきららドーム内で行われた模型展示会で、『中二病でも恋がしたい』の七宮智音(しちみやさとね)ちゃんコスプレ衣裳のコンパニオンと遭遇。セントラルやまぐちモデラーズ協会からの依頼アルバイトで登場していたらしい。「このコスプレは何のキャラクターになるんですか?」と私が訊くと、「 ・・・・」と答えてくれたのだが、生協まつりの周囲の騒音でさっぱり聞こえなかったので、私はカメラバッグからメモ帳とボールペンを取り出して彼女に書いてもらったところ、「中二病でも恋がしたい」「七宮智音」ということだった。「こんな題名のアニメがあるんだ」と言って、私は笑いかけながら彼女に撮影依頼したところ、快くポーズをしてくれたので何枚か撮影させてもらった。中学生なのか高校生なのか判らなかったが、とても素直に応じてくれたので嬉しかった。この時のコスプレ七宮智音ちゃん画像は、いつか当Webのフォト・ギャラリー2に公開予定だ。彼女に名刺も渡して、公開許可ももらっている。カメラの液晶画面で確認して見てもらいながら「こんな感じだけど、ステキでしょ」と言って会話をしていたが、模型展での撮影もずいぶん楽しかったので、いずれ合わせて公開してみたいと思っている。

アニメ『中二病でも恋がしたい』のアニメ制作は、京都アニメーションである。また、上記にも紹介した『けいおん!』のアニメ制作も京都アニメーションが手掛けている。フィギュアやアニメに関わっていると、知らないところで京都アニメーションがいろいろと浸透しているのがよくわかる。国内外のアニメ・ファンがどれほど今回の放火事件に胸を痛めたことか想像に難くない。あまりに多くの若い有能なクリエーターを失ってしまったことは、実に衝撃といえる。この頃のTVのワイドショー番組は吉本興業の内紛を優先してごまかしているが、各局テレビメディア自体が吉本興業の株主ともなれば、優先順位もそんなもんかとガッカリする。いかに日本のメディアが権力に弱いかがよくわかる。大事なニュースの捉え方として、吉本興業=芸能界=(CMスポンサー)のネタ探しとしては誠にお粗末な事案で、放火事件で犠牲者たちを悼む大衆のほうが遥かに立派で真摯な追悼を続けているというのに、この吉本興業内紛の陳腐なザマは、いったい何なのだろう。詐欺・強奪・闇営業・違法金銭授受に関与していようがいまいが、奪われた大勢の有能クリエーターたちの命の重さのほうが、今は遥かに大事。権力を支配している側と権力に支配されている側の闘争など、今はどうでもいいような気がする。多角経営に走る吉本興業ホールディングス株式会社に公金さえもが及ぶ事業媒体と東京五輪とのつながりは、今後いかに。

7月25日現在時点で京都新聞社の京都府警捜査関係者からの取材によると、亡くなられた京都アニメーションの従業員34人の身元はすでにDNA鑑定などで特定されており、犠牲者の年齢は20代から60代で、大半が若い世代、男性13人、女性21人とのことである。慎んで御冥福をお祈り致します。

    合掌

(2019/07/26)


補記 (3)

あの傷ましい大量放火殺人事件から、もうすぐ一年となる。事件は昨年の2019年7月18日に起きた。来月には一周忌を迎える。2020年6月5日現在、亡くなった犠牲者は36人、当時の重軽傷者は33人であった。貴重な存在であった多くのアニメーターたちの若い命が無残にも奪われてしまった日本史上稀れに見る悲しい大量放火殺人事件である。日本のアニメ界にとっては大きな損失だ。自ら全身大火傷しながら現場から逃げていた殺人犯は、この頃やっと意識を回復したようだ。自分の命だけは惜しいらしい。あらためて逮捕された殺人犯に対して、私はあえて言いたい。「お前は小説家なんぞではない。死刑が執行されるまでに、くだらない出版社から口頭執筆を獄中で依頼されても、断って、犠牲者たちの御霊にただひたすらひれ伏し、今生の限りある時間内で償えることだけを考えろ。お前の殺害動機など聞きたくもないし、大勢の人の命を奪ったことに、微塵たりとも人間らしい反省でも良心でもあるのなら、ただただ沈黙して、大地に頭を垂れ、お前の神とやらに祈り続けるがいい。この世には善も悪も分からない人間たちが無数にいるが、お前もその一人だ。世の中が嫌いで他人を殺したいのなら、解決法は一つだけある。自分で自分の命を殺せばよい。そうすれば自分の厭世観も社会への敵愾心も鎮められる。だが、お前なんぞには、煩悩という言葉すら似合わない。人の痛みが分からずして、小説など書けるわけがないからだ。違うか?」

(2020/06/05)


補記 (2)

2019年8月19日現在、京都アニメーション放火殺人事件による犠牲者は35人、重軽傷者は34人で、警察側の発表による犠牲者の氏名公表は10人。報道等による犠牲者のお名前は他に石田奈央美さん(49歳)、大野萌さん(21歳)は依然安否不明のまま。そして、生き残られた内の3人の重症者が今も極めて危険な重篤状態にあり、渾身の治療で何としても一縷の回復を願わずにはおれない。

(2019/08/19)

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2019年7月30日(火)午後11時過ぎ、ここで大きなニュースが飛び込んで来た。京都アニメーションの社長は犯人からの応募作品は無かったと火災後当初の会見で述べていたが、今夜遅くに同社の代理人弁護士によると、過去に同姓同名の家宅捜査同一住所の人物からの小説の応募があったと、TV各局のニュースが報じた。どエライこっちゃ。放火犯人は「オレの小説をパクりやがって」と言ったわけだから、京アニが公募して受賞作品が決まり発表されたその作品が放火犯人の書いた作品と酷似していたから、犯人にそれが判ったことになるわけである。自分の書いたものが落選して、受賞作品がまったく違ったものであったなら、犯人も仕方がないと思って、普通に諦めたはずである。ところが、他人の受賞作品が、もし自分の書いたものに100%とは言わなくても90%くらい類似していて、もしくは微妙に改竄されていたとしても70%程度まで似ていたとしたら、あるいは構成やストーリーが50%そっくりだとしたら、あるいは文章の一節だけでも犯人独自ならではの言葉だとしたら、当人はさぞや恨みを抱くかもしれない。よほど心血を注いだ文章をマネられて、しかもそれが受賞していたとしたら、その逆恨みは犯人のこれまで報道されて来た性格上、半端じゃないかもしれない。また、問題はそれだけではない。

同社代理人弁護士の説明だと、原稿を整理しているうちに不備があって、一次審査の選考すらしていないもようなのである。腑に落ちないというか、矛盾が生じてしまっている。審査員の誰かが読んで、あえて別人にその原稿を渡し、まるで新たなものに加筆して提出させているような按配とも看てとれる。もしそうだとしたら、看過できない事案にも発展しうることになる。ライトノベルの世界を私はあまり知らないが、放火犯が殺意を抱くほど京都アニメーションに恨みを持ち、「パクった」と主張しているかぎりは、どれかの受賞作品と似ている形跡があるのかもしれない。京アニ社長が犯人の投稿は無かったと当初早くから精査もせずに述べていたあの顔には、何かを隠すための表情だったのだろうか。放火の動機と、犯人の主張している投稿作品の存在も気になるところだが、何か想定外のような真相がありそうだ。動機の解明と類似の受賞作品も気になるところではある。京アニ公募の投稿作品には、全国からいったいどのくらいの数の作品が寄せられているのだろう。放火犯は自分がいったいどれだけの犠牲者を出したのか、重篤の今も知らないでいるが、犯した罪は万死に値することに変わりはない。

(2019/07/31)

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2019年7月30日(火)午後6時過ぎ、犯人宅の家宅捜査で押収されていたものには、京都アニメーションの関連グッズはあったが京アニ作品のDVDは無かったとのこと。また、犯人の原稿用紙が見つかったとのこと。

小説家のポーズをしたい人間をいろいろ見て来たが、コツコツと長年にわたって物を書くような人に破壊者はいない。ニセモノ作曲家にという人物がかつて脚光を浴びていたが、無名で本物作曲家の新垣隆が彼のゴーストライターだったことが後で判り、多くのメディアが騙されていたことを私はふと思い出す。TVドキュメンタリー番組でニセモノ作曲家は自分の頭を壁にぶつけながら、一生懸命に芸術家のポーズをしていたが、あの場面をTVで見た時、私はすぐにコイツは芸術家ではないなと直感した。それから何週間後だったか間もなくして、何もかもがバレて謝罪会見をしていたが、私は可笑(おか)しくて何度も滑稽に思ったものの、彼を憎んだことはなかった。風変わりな詐欺をする人間は世の中にはいっぱいいて、騙されるほうも油断しないことである。ニセモノ作曲家だと判って、新垣隆のすばらしい音楽が詰まっている販売DVDやCDがもしかしてツタヤ店頭から無くなるのではないかと思い、無くなる前に私はそれらをあえて買ったのだが、案の定、翌々日には店頭販売棚からすべて商品は消え、ニセモノ作曲家コーナーも完全に撤去されていた。面白い世の中である。そのニセモノ作曲家は詐欺をしたが、人に危害を与える人物ではなかったことだけでも善しとすべきか。

(2019/07/31)

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2019年7月27日(土)、京都アニメーション放火殺人事件の犠牲者は35人となり、重軽傷者は33人となった。
京都府警による放火犯人の家宅捜査で京都アニメーション制作のDVDが見つかり押収。
さいたま市の容疑者自宅アパートの家宅捜査では、大音響サウンド・システムもあって全て押収された。
(※当Webでは放火犯人の名前をあえて表示しておりません。公益性に反するもの、公序良俗に反するものは表記を致しません。)

京アニ第1スタジオの一階奥のコンクリート防音壁の音声収録室にあったサーバーが焼失から免れていたとのこと。原画がどこまでデジタル化されているか京アニ側で確認調査予定の意向。

作品『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を手掛けたイラストレーターの高瀬亜貴子さんは、事件当日、本社側におられて生存無事がツイッター等によって確認されているが、京都アニメーション側からの正式発表も待ちたい。いずれ後日でもいいので、生死区別なく第1スタジオで働かれておられたスタッフ全員の安否情報をいつか正式発表していただきたい。国内外すべてのアニメ・ファンの思いだとおもわれる。亡くなられた方も治療中の方も、無事であった方も、人に夢や希望を与える仕事がどれだけ素晴らしく誇りであったか、世界中に知ってほしい。一つのアニメーション作品を完成するためにどれだけの大勢のキャストやスタッフの人員が細かく関わって製作されたものであるか、報われてほしい。『涼宮ハルヒ』シリーズの作品を1本鑑賞しただけでも、私はそう思った。治療中の方たち全員の回復を願わずにはおられない。

ほんのささやかな人間のまごころが、人から人に伝わり、内戦や戦争を阻止できる基盤の一助になるのではなかろうか。小さなことが出来ずに、大きな事は築けないからである。いつまでも胸が込み上げてきて仕方がない。

(2019/07/29)


・古川卓也



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